こすたシンコペーション

うたと作文がすきな会社員。都内某所在住。いろんなことを書きたいのです

酔ってみよう文章をかこう君に会いたくなるからね

めいたんと赤坂のニンジャレストランにいってきました。

いやぁ、楽しかった。大きな声でたくさん笑った。またいきたい。



酔っております。

なぜなら、めいたんと別れたあと東中野に帰ってふらっとバーに入ってしまいました。飲み足りない、というやつです。よくあるパターンです。

週末なので盛り上がっている。カウンターに3グループぐらい。たくさんの笑い声があがっています。煙草の煙が踊っています。

そんななか私はひとりでブログを書いてるわけです。ね、ねくら…

でも楽しかった時間を思い出して、ときどきにやにやしてる。


言いたいことがたくさんある気がする。だから人と会うと私はたくさんしゃべる、大きな声でしゃべる。

でもいつも、どんなにしゃべっても、どこか足りない気持ちになって、こうやってテキトウにひとりで酔っ払ってみたり、Twitterのタイムラインを汚してみたり、ブログに文章をしたためてみたりする。



懐かしい気持ちになるから、煙草の匂いは嫌いではない。特に、マルボロという煙草の匂いがすきだった。過去形。吸いたいとは思わないし、いまではどの煙草も区別がつかなくなってしまったけれど。昔は、マルボロだけはすぐわかった。マルボロにもいろいろあるみたいだけど、主に赤っぽいやつ。

と、いう話をすると高確率で、昔の男がマルボロ吸ってたのね?とか言われますが、吸っていたのはお兄ちゃんです。ざんねん。



店の奥にダーツがあって、ぴろりろりりーんみたいな電子音が定期的に聞こえてきます。


はい。

ときどき、自分がどこにも属していないような孤独感に苛まれるのはなぜだろう。

日本人で、東京中野に住民票があって、愛知には愛する家族がいて、各地にだいすきな友達がいる。会えば安心する。

そしてイチ企業で社員として働いている。

属しまくりなのにねえ。



どうしても、欲しいものがあって、したいことがあって、

それが手に入らないだけで、何も持っていないような気持ちになる。誰にも知られていない気持ちになる。

どこにも属してないわけではなくて、

繋がりたいところに繋がれなくてもどかしいだけなのでしょう。


恋のようにわがままな気持ちだ。




頭の痛いことばを綴っておりますが、

酔っ払ってるし、誰も傷つけてないはずなので、おおめにみてください。



きっとこんな気持ちもいつかは忘れてしまうから、

こうやって記録しておくのもいいものです。


明日は妹があそびにきます。うれしい。

いちねん

めったに更新しないこのブログももうじき開設して1年たちます。

就職をきっかけに作ったブログだったので、つまるところ二度目の会社員生活がそろそろ一周年ということですね。わたしのことなのでいつイキオイで辞めてしまうかどきどきしていたのですが、なんとか最初のキリのいい数字を迎えられそうです。

ちなみにしょっちゅう辞めたいとおもってますがなんとかやっております。働くというのは想像以上に大変ですね。もっとハングリー精神にならないかんけど、いかんせんマイペースなのでほんと営業向いてないなあと思います。私はよくしゃべる人間なためか、営業向いてそう!とよく言われるけれど、営業が向いてる人って人の話をしっかり聞ける人なんだな、と再就職して悟りました。ゆえにわりと自分のことばかり考えている私に営業は全然向いてないのですよ。負けず嫌いの対極にいるタイプなので数字を追っかけるのもわりとしんどい。ただ、上司には恵まれたのでこの人を悲しませるわけにはいかない…!という気持ちがかろうじて私を社会人らしくしてくれます。そういう存在がなかったら私、すげい仕事さぼりそう。



ほんとうは、1年経っていろいろと思うところをつらつら綴っていて、気づいたら2000字くらい書いていたのですが、

御託ばかりぐだぐだ並べていて、まるで言い訳のようで、恥ずかしくなって、下書きにしまいました。誰に向けて言い訳しているのだろう、と

今抱えてるあこがれというか、目標をちゃんと達成したら、公開しようと思った。

こんなこと考えてたときもあったよ、でも今は違うよって。

 

昔からその時々の感情を第一に考えていて、いつも勢いで動いていて、

「もうちょっと準備して、自信がついてから行動する」って考え方ができなかったけど、そういう見方も重要だとやっと悟った。アラサーにして…

(その自信はいつになったらつくかわかんないんだからそんな気持ちでいたら一生行動に移さない、とか思ってたけど根拠のない自信だけを頼りにガツガツいっても、どっかで壁にぶつかってダメになることにようやく気付いた。しょせん普通の人間なんだからできないことのほうが多くて当然だし、ぶつかったら立ち止まって次の一手を打つべく準備しなきゃいけないのだと思った。まあ、それが簡単にできたら悩んだりしませんが)

前ばっか見てないで横も見ましょうよ、と言いますかね。ときには根拠のない自信も大事だけど。

 

とりあえず、来年アタマにむけてちょっと動き出します。新しいことをします。

 

詳細はまたのちほど。



やりたいことは全部やる!!!!

さよなら8月

9月になりましたね。


夏が終わってしまった。朝晩涼しい。カーデガンを羽織って出勤する。8月の暑さが嘘のようです。ここ最近がそうなのか、東京がそうなのかわからないけれど、昔と比べて夏が終わるのが早い気がする。愛知の夏が長すぎるだけだろうか。

18年間暮らした愛知を離れて、夏が文字通り一瞬しかない信州で6年暮らして、そして東京3年目、夏の長さのスタンダードなんてよくわからないなあと思いながら、とにかく、夏が終わってしまいました。やはり寂しい。秋生まれの私は涼しくなる頃に歳をとるので、近頃みたいに気温が下がってくると何かが起きる気がしていつもむずがゆい。そわそわする。


しかしながら、今年の夏は文字通り怒涛だったので、そんな日々とさよならしたいま、ひさしぶりにずいぶんと落ち着いた気持ちでいます。

夏が終わるのは寂しいけれど、2014年の夏は二度と経験したくないです。あはは。


6月あたりからどうしようもなく会社の業務が忙しくなって、毎日ヒィヒィ言いながら出社していたうえに、夜からコンスタントに忍者修行に励んでいたわたくし、さらに音楽活動も見切り発車で再開させていた結果、例によってメンタルがおかしくなりまして。異常なハイテンション状態で日々過ごしておりました。


今思い返すとおかしかったなあ。もともとメンヘラの素質がある私ですし躁鬱の操状態だったんだろうと思われます。

具体的にはとにかく声がでかい、しゃべりだしたらずーーーっとしゃべってる、唐突な深夜徘徊、体力が途切れるまで眠れない、などなど。

おそろしいことに、テンション高く声でかくしゃべっていた内容を、酔ってたわけでもないのに次の日全然思い出せなかったりするのです。知らない間に複数の人にこれまたハイテンションな(もしくはとっても欝な内容の)メールを送っていたり。

今となってはイキオイ余って取り返しのつかないことしてなくてよかったと胸を撫で下ろすしかありません。でもドン引きしてた人はいっぱいいるんだろうなあ。恥ずかしくてつらい。



そんな状態で8月に突入したらば、ダメ押しのように家族が事故って入院したり、財布盗まれたり、もう私のライフはゼロでした。心身ともにズタボロでしたわ。

 

ひぃひぃ言いながらも、生き急ぐように働きまくってた私は何と戦っていたのか、というと、夏のあいだにどうしてもお引越しがしたかったのです。


いろいろ思うところがありまして、8月中旬にとうとう新しい暮らしを始めました。本格的に計画を立て始めたのは4月ごろだったかな。それまでは共同生活、というかほぼ居候のような暮らしをしていました。きっかけとして、ポジティブな理由もネガティブな理由もありますが、そういうタイミングだったのでしょう。なんとしても8月のうちに一人暮らしを始めたかった。

前述どおりとにかくひっちゃかめっちゃかな毎日だったので新生活には楽しみより不安のが大きかったけど、えいっ!!と引っ越しました。

まー、あの状況でよくやったと思う。


そんなわけで小田急線沿いの某所から中央線沿いの某所に移住しまして二週間とちょっとが経ちました。古いおうちだけれど、他にあまりない独特の間取りも、なかなか快適な立地も、クォリティのわりにお手頃な家賃も、とても気に入っています。外に出ると蚊が多いのだけ難点です。


暮らしてみて気付いたのですが、自分の世話を自分でする、ということは、仕事で抱えたストレスをぐっと解消してくれるようです。なんだかちゃんと生きている気がする。タオルたたんだりとかごみ捨てたりとかなんでもないことなんだけど、毎日を肯定的に過ごせている。家に帰れば自分だけの居場所がある、という安心感も、心の健康にヒジョウによいです。この暮らしを守るために働いているんだ、と思うと仕事のモチベーションも上がるし、ちょっと自分に自信がついた。

学生のころは単位とか、卒業とか、具体的な目標を自分じゃない大いなる存在が示してくれて、それに向かってがんばればなんとかなったけど、大人になった今そういうものは自分で決めてやってかないといけない。人によっては仕事で成果を上げることそのものだったり、家族を養うことだったり、大好きなアイドルを追っかけるためだったり、とかいろいろあるんでしょうけど、

私はいまの穏やかな暮らしと気持ちを守るためなら、多少の無理はがんばれるな、と思います。そしてそんな自分に胸を張れます。


基本的に私は心配性でネガティブなので、しばらく時間が経過したらどかんと寂しくなるのでは、そのうち家事に飽きて暮らしが荒れるのでは、最初は気付かなかったがお部屋に重大な欠陥があるのでは、Gが出たらどうしたらいいのだ、お化けがでたら…などと挙げたらキリのない不安がよぎるときもありますが、よぎるだけですぐ消えます。ナチュラルボーンネガティブ野郎の私にとってこれはすごいことなのです。

いろいろあったしこれからもいろいろあるだろうけど、そのたびなんとかなってきたし、なんとかなるんだろう。

 

そんなわけで、さよなら夏。

いやしかし2014年の夏は二度と経験したくない!(二回目)

メンヘラ日記



降り積もってた不安がピークに達すると異常な食欲がわく

飲酒をやめたらその傾向が顕著になった。

歪みを正そうとすると別のどこかが歪むのだろうか

ワンクールに一回、一ヶ月くらい持続する持ち前の精神力でどうにかもとの食生活に戻っても

根本をどうにかしないと、どうせまたふとしたストレスで同じようになってしまうんだろう。


突然熱を出すのも、気を失って倒れるのも、身体が疲れてるのもあるけど、けっきょくメンタルをやられているからこそそうなってしまうんだろうと、さいきんは自分でもわかってきた。


余計なことを考えるのがこわくて、さらに忙しくしてしまう。悪循環だ。



これはきっと緩やかな自傷なんだなって

自分をコントロールできないよ



不安を感じてどうしようもないときに


胸をとんとんと叩く癖もやめられない


そのたびに虚しくなる  私はなんでこんなに生き急いでるんだろう。

鈍感になりたい。楽に生きたい。


なんだかな  ああ

いつまでこの感じは続くんだろう。



そんなかんじ

欲しいものは穏やかな暮らしで、

すきな人の掌がね、すぐそこに、すぐそばにある、そんな毎日があれば。


それがないだけで私は

何も持っていない気分になるんです。

カンパチとカンナナと国道20号線を辿って(星座になりそう)

今日、少し待ち時間があったので、PCGoogle mapを開き、ぐるぐるスクロールしながら見ていおりました。

なんとなく、カンパチとカンナナはどこからどこまで繫がっているのかな、と興味が湧いたのがきっかけ。


カンパチ、カンナナとは、漢字で書くと環八、環七で、それぞれ環状八号線と環状七号線の略です。カンパチは我が家の近所を走っていて身近だし、カンナナは家からだと少し距離があるけど、邦楽ロックの歌詞によく出てくるので馴染みがあります。なぜならバンドマンがたくさん生息していると言われ、ライブハウスもたくさんある高円寺・下北沢あたりを走る道路だからですね。

タクシーの運転手さんに自宅を説明するときも、「カンパチ沿いの○○を目指してください。」といつも言うようにしています。

そんな、わりと身近な存在とはいえ、私は自動車の運転ができませんし、上京と共に自転車を手放してしまったので、道路には全然詳しくないのですが。

 

でも、今回、興味を持って道路見てみたら、とても面白かった。

道路の連なりって不思議だ。

あの子が住んでる街にも、去年よく行ったあそこにも、聞いたことあるけどよく知らない地名にも、家の前の道から全部つながってるんだと思うと、なんだかどきどきする。

特に東京のような街は、大小いろんな種類の道路が張り巡らされてて、そのそれぞれに名前がある。そして当たり前だけど、道路と道路がつなぐ街ごとに地名があって、その地名にはいっこいっこ由来があるんだなあと思うと、とてもロマンを感じる。

 

で、問題のカンパチとカンナナ。

一時期私は中央線沿いの某駅近くで働いていたのだけど、同僚ともども、たまに車で家まで送ってもらうことがありました。

その道のりが、たしか、カンナナをずっと下って、途中でくいっと曲がって、カンパチにつながるルートだったなあ、画面をスクロールしながら思い出してみたら、

いろいろ回想してしまってうおお。と悶えています。

 

あのときぼんやり見ていた車の外の風景と、仕事でくったくたのけだるい気分と、先がまるで見えなかった当時の状況がありありと思い出されてけっこうなダメージを受けています。あなどりがたしGoogle map

 

そしてカンナナとカンパチを繋ぐため「くいっと」曲がった道路は、国道20号線だということがわかりました。

国道20号!もしかして!と思ってマップをずいずいスクロールすると、

山梨県を通過して、わが青春長野県にたどり着くのですよ。

このときの私の興奮具合といったら。

繋がってるなあ。ちゃんと繋がっている。うんうん。

 

切ない気分にもなったけど、

美しい道路の連なりのはなしでした。

五月の胃痛

 

 

 

 

今月あたまからヒジョウに胃腸の調子がわるかった。

 

食事をすると尋常じゃないくらい痛い。空腹時も負けてないくらい痛い。つまりつねに痛い。つらくて仕事にならないので市販の胃薬に痛み止めをプラスして働いていたのだけど、大概の痛み止めは胃を荒らす作用があるとのちのち知って白目むきそうでした。プラマイゼロじゃないか。でもあのときは仕方がなかったんだ。

 

胃痛もちの人ならわかると思うけれど、胃が不調なときってみぞおちが痛くなる。

 

みぞおちを通り越して胸全体が痛くって、しまいには背中も痛くなって、このままほっといたら死ぬかもしれない!と思い病院にいきました。何種類も胃薬をもらい、食事代わりにごくごく飲んでいたらだいぶ復活してきました。ごくごくは言い過ぎたけど、ここ一週間ほどは私の晩御飯胃薬オンリーでしたわ。つらかった。もしかして胃がんとかだったらどうしよう。なんて少しだけよぎったけれど、ただのストレスらしい。死ななくてよかった。

 

 

 

ひっきりなしだった会社の電話が鳴る頻度も落ち着いてきて、

 

ここ数か月って繁忙期だったのだなあ、とようやく実感しました。

 

 

 

 

 

 

 

はるのにおいは

夜風が春のにおい。

世間は大型連休に突入しているようですが、私は毎日仕事です。

今日は横浜中華街にいってきました。週末はお仕事でいろいろなところへいく。昨日は千葉県は流山市。ながれやま。かっこいい響きです。仕事を受けとったときは、「りゅうざん市」だと思っていて、一発変換できないのはなぜだろうと困った。よくよく考えたらそんな不吉な地名、なんかいやだね。

 

ふらふらと夜の世田谷を徘徊して、帰ってきてから洗濯をした。

明日は晴れるようだから、夜中だけどベランダに出て、外に洗濯物を干した。

東京といえど、そこそこの星が見えて、吸う息にいっぱいの、春の湿った、なんだかどきどきする匂いです。春の匂いは、夜にこそ、感じる。春になるまで忘れている、この甘酸っぱい匂いはどこからきているのだろうね。

 

つい先週前の元気はどこへやら、ここのところSNSにメンヘラ発言を垂れ流しています。具体的になにか大事件があったというわけではないのだけど、少し疲れていて、少し寂しい、その積み重ねなのでしょう。

学生のころまでは、たいていのことは、がんばれば、なんとかなった。

テストでいい点とるとか、1か月で5キロ痩せるとか、できなかったクロールで25m泳いだりとか、できた。

逆上がりはいまだにできませんが、それはちっともがんばらなかったからです。こういう、やる気にムラのあるところが 私がジャパニーズビジネスマンに向いてないゆえんだと思う。うん。

話が逸れた

大人になるにつれ、やみくもにがんばるだけではどうしようもないことが増える。むしろそういうことばかりな気がする。

それはきっと悪いことじゃあないけど、ときどきそれが寂しいのです。

 

春の甘酸っぱい匂いは、そういうことを、思い起こさせる匂いですね。